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武者道を歩くを参加して

「戦国大名 朝倉を支え加賀一向一揆を防いだ武者道を探る」
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志比庄轟村の対岸にそびえる浄法寺鷲ヶ岳などから国境を越え

越前朝倉への攻め入ろうとする加賀一向一揆を九頭竜川で

阻止せんと砦を築き視界を遮る山道には

兵士を張り込ませた武者道は今やけもの道に化している。

往時の歴史の面影や史跡を偲ぶことができればと思い

今回、福岡さんや田島さんの企画で峠の石仏や城山を遠望。

沿道地の史跡を見学

途中一向一揆や畑時能の逸話などを聞きながら一乗谷から轟村付近12kの

新緑の山道を車で移動。

地元の人たちもほとんど知られていない武者道を探訪した。

参加者の一言

武者道 これぞ 無茶道と 云いたくなるような けもの道を体験し感動した
by Y.I
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by fukuinokataribe | 2014-05-23 18:16 | 活動の様子 | Comments(0)

朝倉氏の武者道を探る

● 5月9日、「語り部」会員の福岡昭子氏による「武者道」の実地研修が実施され

7台の自家用車(内1台は非常時対応、マイクロバスは通行不可能)に分譲

25名が参加しました。

ジェジェジェ! 元朝倉遺跡資料館長、水野和雄先生も、特別参加して下さったのですぞ!!!!

「『武者道』って何?」
「そんなものがあったの?」ですって!


それがあったんです。 いや、あるんです。
(もっとも、獣道になってしまった所も多いのですが)

『武者道』とは、朝倉氏が加賀一向一揆に対応して戦略的支道として利用するために

山峡に住む人々の生活道を整備改修した軍用道路(の支道)とのことです。

今回、まだ下草が生い茂らない5月上旬の今ならこそ可能だったのですが

私達は、一応、自分の足で「武者道」を踏みしめてきました! 

もっとも、林道で分断された『武者道』の入口と出口を車で辿っただけなのですが、感動でした。

守護富樫氏を倒し、破竹の勢いで迫る加賀一向一揆の大軍に対して

朝倉勢は巧妙な手を打ち、約100年間にわたって撃退し続けました。

その勝負の鍵を握ったのが、この
武者道と九頭竜川だったのですぞ!!!

朝倉氏は、一乗谷から宇坂大谷~荒谷~轟村に通じる約12kmの武者道に沿った村々に
             4人の重臣 
大月景秀、笠松七郎左衛門、波多野道郷、鰐淵将監を配置しました。

そして、敵方からは遠望が不可能な『武者道網』を利用し

事前に用兵の動きを察知されることなく進撃し、奇襲をかけたのです。

また、九頭竜川を熟知した漁師を使い、逆茂木や乱杭を打ち込んだり

大綱を河の中に張り巡らしたりして、一揆勢の河渡りを阻止したのです。

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武者道ノコギリ坂に「左大谷 右山道」と刻まれた台座の上に不動明王が祀られていた。


    この追分不動明王が、・・・・・・・・


平成に入って山崩れで流されそうになったが

近隣の頭領が、自費で、安全なこの地にお堂を建てお移ししたという。

私達も道中の無事を祈って参拝させて頂きました


波多野家正門
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志比庄地頭として花谷に館を構えて以来760年続く越前の名家の館跡。

館の後ろにそびえる山上の城址と館の間には、今も幅2m程の連絡道が残っています。




正法山霊山院
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旧轟村武者道石柱 「右永平寺 御大典」明治42.9.18 皇太子殿下北陸御幸記念碑
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昔は皇太子殿下もお通りになる、賑やかな道だったのだなぁ




「朝倉氏武者道走破記念写真」で~す。
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皆の得意そうな面々をとくとご覧あれ!!

その後、平和な時代が訪れると、かっての「武者道」は

生活道としてのみならず、平泉寺や永平寺参拝、また白山拝登の人々で大いに賑わったということです。

明治に入っても賑わいは続きました。
それどころか、明治42年9月18日、皇太子殿下(後の大正天皇)北陸御巡幸では永平寺御参拝が決定し
轟村から永平寺までの改修工事が行われました。

轟村の武者道の出入り口に高さ2尺程の記念碑が建てられたのですが

月日の移ろいと共に何時しか土に埋もれ所在が分からなくなっていました。

この度、福岡昭子氏が「武者道」を辿られこの地に行き着かれた時

休息をとられようとして適当な石を探され、腰を下ろそうとされたその時

「あら、真四角の笏谷石よ。人の手が加わっているようね。何かしら?」

案内の地元の人たちと掘り起こすこと、約60cm、現れ出でたるは、・・・

・・・・・・ぺんぺんぺんぺ、ぺんぺんぺんぺん・・・・・・

なんと、行方不明となっていた伝説の御大典の石柱だったのです!!!!!

こんな素晴らしい発見が、凄い偶然が、本当に起こりえるんですねぇ!!!!!! 

思わず福岡氏に飛び付き、握手して頂きました。

この日は、夕食のオサンドンも拒否、お風呂でも右手は濡らさず、

ひたすらベッドの中で道中お参りした弁天様や観音様にご加護を祈り続ける私でした。

「写真 和田敬四郎」 

by 細野睦子



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by fukuinokataribe | 2014-05-21 09:48 | 活動の様子 | Comments(1)