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福井市清水地区は歴史の宝庫

語り部は毎年113日に行われる

清水南地区の健康ウォークのガイドを

お受けしています。

今年は、在田町(あいだ)

甑谷町(こしきだに)、坪谷町(つぼたに)を回りますので、

その下見の模様と歴史を紹介させていただきますね。

929()清水南地区の健康ウォークを

担当する語り部5人が甑谷のふれあい会館に集合しました。

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まずは、七郷用水の分木へ 

清水地区には、七郷用水と言われる用水が

中世から日野川の支流である天王川から

取水し流れており、天王川左岸の一体の用水元として、

地域の生命線の役割を担ってきました。

その清水山用水の分岐点を分木といい堰が設けられ、

甑谷、坪谷、真栗、御油方面へ用水の三分の二、清水山方面へ一分水する「分木」が建てられていた場所です。

この分木を巡って古来水争いが絶えなかったそうです。

水争いの話はどの地区でもあるようですね。

水はとても大事なものですもの


今は、田にはパイプラインが引かれていますので

役目を終え、分木の跡だけが残されています。

残すことは、大事なことですよね

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寺子屋教師顕彰碑

江戸時代末期から明治初年にかけて、

斉藤一郎家で開かれた寺子屋の教師

斉藤吉兵衛の遺徳をたたえるため、

門人一同が建てた碑です。

近くには、推定される寺子屋の

跡地もありました。

次の立寄りどころは、在田古墳です。

この下見時は砂防ダム工事のため、

通行できませんでした。

古墳からは、横穴式石室が確認され、

須恵器から

6世紀末ないし7世紀初頭のもの

と考えられています。


昭和54年5月11日に明厳寺住職に依頼し、

御精ぬきの読経の後、発掘作業を始められたそうです。

お墓ですものね~ 

御精ぬきは大事ですよね。

(他でも古墳の発掘は、御精ぬきをやっているのでしょうかね。

お墓や仏壇に関しては御精ぬきは行うものですが、

古墳にも!!と感心もしたところです。)


荒井彦兵衛華道成功の碑

華道成功の碑があるのは、
ちょっと不思議にも思いますが、
前回もこのような碑がありました。

清水町では、流行りだったのでしょうか? 
どちらにしろ、文化活動が盛んで、
余裕のある家の方が多かったのでしょうか?

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乙坂山(芝摺山城跡)
越前町乙坂と在田にまたがる山です。

畑時能(はたときよし)が、

立てこもったと伝えられる芝摺城跡。

コースからは少し距離がございますので、

立寄りはできませんが、

いろいろな言い伝えがあり、

在田の発祥の地ではないかと言われている場所です。

畑時能ですが、

南北朝時代南朝の新田義貞の家臣で、

新田四天王に数えられた武将です。

犬を用いて闘ったとの逸話も残っているようです。


殿池三尊石仏

神明神社の西側馬乗寺跡に清水が湧き出る

「殿池」と呼ばれるところがあります。

この清水に釈迦三尊石仏が祀られていて、

水汲みには、最初の一杓を

石仏に捧げてから汲むようにしていたそうです。

今は、土手の隅に追いやられて

すっかり村人から忘れられているようです。

この場所の上層の山は、甑谷古墳群があり、

円墳が確認されています。 



神明神社

明治39年に交付された神社廃合令によって糺明神、

神明神社、馬乗寺観音・不動明王などを合併し、

現在に合祀しています。

本殿は糺明神より移築、拝殿はもとの観音堂、

不動明王厨子は元の神明神社の本殿を移したものです。

御神体は、釈迦如来像で金箔が塗られています。


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乙女谷

甑谷に接して深い谷があり、

平家の一族の姫君が落ちのびた所から

「乙女谷」と呼ぶようになったとの伝説が残っています。


営所道と燈籠見坂

 大森から坪谷を通り落合の渡しから

鯖江歩兵三十六連隊へ通じる道は、

「営所道」と呼ばれていました。

燈籠見坂の語源は、

この峠から越知山の火が見られたので

この名前が生れたといわれています。

この営所道は、白山神社からよく見えます


白山神社

ここで、ザアザア振りの雨に当たってしまいました。

 坪谷には、上の堂様と下の堂様がありました。


上の堂様には聖観音立像が祀ってあり、

姉様観音と呼んでいました。

下の堂様には南側の山の中断に立っていて、

立派な聖観音立像と四天王が安置されていました。

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明治初年に神仏分離令が出されたので、

上・下の堂様を合わせて坪谷の氏神様にした。

明治39年神社廃合令が出され、

無各社や雑社は認められなかったが、

越前町の朝日町馬場には、

何社も由緒のあるお宮さんがあるということで、

馬場の菅原神社を譲り受けたそうです。

御神体は地蔵菩薩像で

平安時代のものであろうと推定されています。

下のお堂の聖観音菩薩立像は、

室町時代初期の作で、

福井市の文化財に指定されています。

このようなコースで11月3日に健康ウォークが

開催されます。


ここでの説明は、清水南公民館さんが用意してくださいました

清水町史を参考にしています。



空襲も震災の災害にも受けていない

清水地区は歴史の宝庫


古墳や平安時代、

護良親王(もりよししんのう)の名前も残り

そして、南北朝と歴史の宝庫ですよね~


また、お寺はご案内しないということですが

今年の冬に放映された映画「雪の花 ともに在りて」

と関連する法満寺住職大岩主一も在田の出身です。


20歳の時、大聖寺の蘭学医生駒玄龍に入門し

その後、京都に行って日野ひのてっ哉にさい

就いて蘭学を究めました。

福井へ種痘を初めて移入する時、笠原白翁に

協力しました。


語り部としたら、ここは外せないので

ご紹介させていただきました。



清水南地区の方からご依頼がない限り

知らないまま終わってしまっただろう

清水南地区の歴史です。


私たち語り部は福井の歴史の

伝道者でもあります。


他の地区の方のご依頼もお待ちしております。


byふく







by fukuinokataribe | 2025-10-17 17:19 | 歴史あれこれ | Comments(0)

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