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豪商の屋敷跡を探る。

福井市木田にある長慶寺さんのイチョウの木が
黄金色に輝く頃、橘曙覧勉強会の面々が
橘屋の七屋敷の位置を探るまち歩きを行いました。



橘曙覧記念館に集まり、
橘栄一郎著
「越前の豪商「橘屋」の
第5章 橘七屋敷の部分の資料
を勉強会のリーダー吉田さんが準備をしてくださり
さぁ 出発です。
愛宕坂を下る参加者
豪商の屋敷跡を探る。_d0314924_10370930.jpg
橘屋の屋敷は最初11屋敷あったそうですが
明治維新の頃は七屋敷の名称は残っていたようです。
『橘本家居屋敷』
『石場正源屋敷』
『寿岳院屋敷』
『休意屋敷』
『藤兵衛屋敷』
『観音堂屋敷』
『乱雨屋敷』

まずは、
『石場正源屋敷
(正玄屋敷、九十九橋の南側
表五間裏へ八軒)

『』()内は橘栄一郎著
(越前の豪商「橘屋」に書かれている内容です。)

橘曙覧生家跡へ向かいました。
九十九橋南に行った三差路のところです。
豪商の屋敷跡を探る。_d0314924_10380484.jpg
次に『寿岳院屋敷』
(橘屋の古来の廟所・現在の泰清院)
豪商の屋敷跡を探る。_d0314924_10475968.jpg
泰清院のみごとな笏谷石の涅槃像に
目をとられました。
豪商の屋敷跡を探る。_d0314924_10503863.jpg
この後は、ちょっと寄り道をして
通安寺さんまで行きました。
 
『休意屋敷
(西屋敷、西木田2丁目徳願寺の西側)
豪商の屋敷跡を探る。_d0314924_10531732.jpg
福井弁で「多分
ここらあたりかの~?」と
話をしている「語り部」の面々
≪この駐車場は西木田3丁目の西木田合掌会館の
駐車場です。≫


『藤兵衛屋敷
(羽入隠居屋敷・中野本山・専照寺の西側か?)
豪商の屋敷跡を探る。_d0314924_10575356.jpg
羽入観音さんの前にて
羽入観音と羽入隠居屋敷は
関係があるのだろう
中野本山も近いしこれより
南だろうと話し合う「語り部」です。


この後、本家の近くを通り
(橘家は続いていらっしゃるので写真は控えますね)


長慶寺さんへと向かいます。

豪商の屋敷跡を探る。_d0314924_11171508.jpg
写真は長慶寺さんの見事な銀杏の木
ここは、木田四つ辻の側でもあります。
『観音堂屋敷
(現在の木田四つ辻北側、
長慶寺の東側に隣接していた。)

『乱雨屋敷
(東町屋敷、木田四つ辻の西側一角)


豪商の屋敷跡を探る。_d0314924_13355749.jpg
↑の地図は正しいとは言えませんので
多分 この辺だろう程度で
ご覧くださいね。


橘屋七屋敷の跡地を探すまち歩きでしたが
お天気や、紅葉にも恵まれて
楽しいひと時でした。

最近、福井市立歴史博物館の学芸員の案内で
由利公正(幕末の福井藩士)が
北庄(きたのしょう)
足羽川右岸だったと
言っていたといわれていましたが

豪商が莫大な土地を持っていたことを
考えると
そういう説もあるのかなと
思えてしまいますね。



橘屋についてですが
詳しくは
橘屋は越前の商人で、由緒書によれば
紀州田辺城主田辺飛騨守が
大治年間(1126-31)に
越前へ下向して木田に居住したのを初代とし、
その本家居屋敷は
初代以来「居地を易えず、櫓を挙げ構の堀を築く」
というもので、
そこには以前から六地蔵があり、
16代まで構の堀の外で市が立ち
世人はこれを「地蔵の市」と称したという
(「歴代由緒記并七居屋鋪部書」)。

橘屋は木田一帯に複数の屋敷をもち、
近世にも御朱印七屋敷といって由緒を誇った。
その1つに観音堂屋敷があり、
ここには松尾山の観音像が祀られていたという。
この松尾は橘屋の本家居屋敷の西方一帯の古称で、
14世紀には金融業を営む僧侶たちも居住していたことが知られ
(「大音家文書」)
木田近辺は早くから北陸道沿いの要地として賑わっていた。
(福井県デジタルアーカイブ 橘栄一郎家文書より)

もうちょっと詳しく知りたい方は、↑を調べてくださいね。



by fukuinokataribe | 2024-12-23 16:15 | 活動の様子 | Comments(0)

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