福井市木田にある長慶寺さんのイチョウの木が
黄金色に輝く頃、橘曙覧勉強会の面々が
橘屋の七屋敷の位置を探るまち歩きを行いました。
橘曙覧記念館に集まり、
橘栄一郎著
「越前の豪商「橘屋」の
第5章 橘七屋敷の部分の資料
を勉強会のリーダー吉田さんが準備をしてくださり
さぁ 出発です。
愛宕坂を下る参加者
橘屋の屋敷は最初11屋敷あったそうですが明治維新の頃は七屋敷の名称は残っていたようです。
『橘本家居屋敷』
『石場正源屋敷』
『寿岳院屋敷』
『休意屋敷』
『藤兵衛屋敷』
『観音堂屋敷』
『乱雨屋敷』
まずは、
『石場正源屋敷』
(正玄屋敷、九十九橋の南側
表五間裏へ八軒)
『』()内は橘栄一郎著
(越前の豪商「橘屋」に書かれている内容です。)
橘曙覧生家跡へ向かいました。
九十九橋南に行った三差路のところです。
次に『寿岳院屋敷』(橘屋の古来の廟所・現在の泰清院)
泰清院のみごとな笏谷石の涅槃像に
目をとられました。

この後は、ちょっと寄り道をして
通安寺さんまで行きました。
『休意屋敷』
(西屋敷、西木田2丁目徳願寺の西側)
福井弁で「多分
ここらあたりかの~?」と
話をしている「語り部」の面々
≪この駐車場は西木田3丁目の西木田合掌会館の
駐車場です。≫
『藤兵衛屋敷』
(羽入隠居屋敷・中野本山・専照寺の西側か?)
羽入観音さんの前にて
羽入観音と羽入隠居屋敷は
関係があるのだろう
中野本山も近いしこれより
南だろうと話し合う「語り部」です。
この後、本家の近くを通り
(橘家は続いていらっしゃるので写真は控えますね)
長慶寺さんへと向かいます。
写真は長慶寺さんの見事な銀杏の木ここは、木田四つ辻の側でもあります。
『観音堂屋敷』
(現在の木田四つ辻北側、
長慶寺の東側に隣接していた。)
『乱雨屋敷』
(東町屋敷、木田四つ辻の西側一角)

↑の地図は正しいとは言えませんので
多分 この辺だろう程度で
ご覧くださいね。
橘屋七屋敷の跡地を探すまち歩きでしたが
お天気や、紅葉にも恵まれて
楽しいひと時でした。
最近、福井市立歴史博物館の学芸員の案内で
由利公正(幕末の福井藩士)が
北庄(きたのしょう)は
足羽川右岸だったと
言っていたといわれていましたが
豪商が莫大な土地を持っていたことを
考えると
そういう説もあるのかなと
思えてしまいますね。
橘屋についてですが
詳しくは
↓
橘屋は越前の商人で、由緒書によれば
紀州田辺城主田辺飛騨守が
大治年間(1126-31)に
越前へ下向して木田に居住したのを初代とし、
その本家居屋敷は
初代以来「居地を易えず、櫓を挙げ構の堀を築く」
というもので、
そこには以前から六地蔵があり、
16代まで構の堀の外で市が立ち
世人はこれを「地蔵の市」と称したという
(「歴代由緒記并七居屋鋪部書」)。
橘屋は木田一帯に複数の屋敷をもち、
近世にも御朱印七屋敷といって由緒を誇った。
その1つに観音堂屋敷があり、
ここには松尾山の観音像が祀られていたという。
この松尾は橘屋の本家居屋敷の西方一帯の古称で、
14世紀には金融業を営む僧侶たちも居住していたことが知られ
(「大音家文書」)
木田近辺は早くから北陸道沿いの要地として賑わっていた。
(福井県デジタルアーカイブ 橘栄一郎家文書より)
もうちょっと詳しく知りたい方は、↑を調べてくださいね。
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