清水山地区
2024年 11月 01日
毎年、清水南地区では、
まち歩きのイベントが行われていますが、
「語り部」がガイドとして
史跡などの部分をご案内しています。
今年は、11月3日にふるさと健康ウオークが
清水山町で行われます。
ガイドに携わる「語り部」が
下見を行いましたので
清水山町の紹介をしたいと思います。

清水山町は、清水山と福井市の三尾野町、
南居(なご)町
に沿って流れる日野川を挟んで
隣接している福井市の南西部にある
日野川の恵みを受けた
豊かな田園地帯です。
清水南地区の公民館でいただいた資料では
村は後ろに大きな山を持っていて、
所々に清水が湧き出るので、
大昔から人が住んでいました。
日野川、天王川の洪水が度々あるため、
奥の谷付近に早くから住みついたと思われます。
奥の谷や向山の頂上には、
立派な古墳が尾根づたいに、
いくつもつくられており、
豪族の墳墓があったそうです。
また、
清水山城は、清水山上の日野川堤防に接し、
森に囲まれた高さ約5m位の台地にあります。
西側中央に毘沙門の小社、
その周辺に堀り切り等の跡が残り、
井戸跡もあります。
この台地は、
元、東の三尾野(三尾野町)方へ
張り出していて、
日野川が南、東、北を囲む様に
取りまいて流れ、
自然の要害でした。
ところが大正の頃、日野川改修で
城跡の東半分が日野川地となり
曲っていた日野川が真直になりました。

日野川周辺の案内に移ります。
写真は、浅水川、天王川
(和田川)が、合流する地点です。
手前の少し見える水路が
天王川(和田川)
奥の川幅が広いところが日野川です。
車で走っていると、わからないですよね。
日野川は、昔は大水が多く、
川筋が変わったそうです。
地図でもわかるように、
川を挟んで反対にも清水山地区があります。
これは、1765年に大水が出て、
清水山の田地1町9反が(約2700坪)新川になり、
三尾野に砂浜が移ってしまったが、
幕府の裁判で、清水山の土地となったそうです。

次は、清水山城の紹介です。

(現在の清水山城跡はこじんまりとしていますが、
現在の土地の形状とは
違うことになりますね。)
室町時代、守護斯波(しゅごしば)氏の家臣
太田氏が城を築き、
朝倉氏が攻め落とされるまで
在城し
その後、子孫が秀吉の家臣となり、
関ケ原の戦いに敗れるまで在城したそうです。

清水山城に鎮座する毘沙門堂
毘沙門天は戦いの神様ですよ。






