波多野城山
2020年 12月 28日
波多野城山に登られた
髙村さんから写真が届きましたので
勝手に投稿しています。💦
だって、折角の情報を載せない手は
ありませんよね。
今年も後、数日ですね!
12月6日に永平寺町の波多野城山に行ってきました。

60人位で登った落葉登山イベントだったですが、

風も無い好天に恵まれて
朝日に輝いた九頭龍川に浮かぶ白いふんわりとした雲が
印象的だったですよ!

永平寺を開いた道元さんを
連れて来た波多野義重さんの山城だそうです。
それではまたね!良いお年を!
この後は、波多野氏と山城についての説明です。
時間に余裕のある方はお読みください。(^^♪
曹洞宗の開祖 道元が
志比荘に入居することになった最大の理由は、
波多野義重の所領が同所に存在したことによるそうです。
波多野氏は平安末期以降、秦野盆地
(神奈川県秦野市)から足柄平野へと進出しました。
全国に拡散したのは、後鳥羽上皇が
北条義時追討の承久の乱(1221)が
契機になっていて、
関東の御家人が乱の恩賞地を得て
この時期に志比荘に移ったようです。
次は山城についてです。
波多野城は、
永平寺谷と勝山街道のほぼ中心に位置し、
眺望の極めて良好な場所にあります。
山頂からは九頭竜川を隔てて
そびえる鷲ケ岳城が望まれ、
街道見張所としては最適の場所です。
城郭の所在する山頂への道は険しく、
特に最高所は極端に切り立っており、
主郭を中心に北側郭と西側郭の三郭で構成されています。
見事な竪堀群が形成されており、
竪堀を主にした防御の城といえます。
これは朝倉氏の山城構成にみられる遺構で、
戌山城や文殊山城や一乗谷城などにも共通しています

遺構から戦国末期に完成された山城と推定できますが、
これほどの防備を必要としたのは
元亀元年の織田信長越前侵攻など、
朝倉氏の危急存亡にかかわる
拠点の城だったからでしょう
ともに、福井県通史をはしょって
引用しています。
詳しく知りたい方は、福井県通史をご覧くださいね。
また、現地に行ってもよしですね。
次回は、会長から年末のご挨拶です。
久しぶりにコメントします。
波多野城に登ったそうですね。この時期の波多野城は葉っぱも落ちて、見通しが良く、すっきりと遺構が見えたことでしょう。お疲れ様でした。
60名の団体だそうですが、会員の方々の感想なども載せていただければ、なお楽しいでしょうね。
波多野城はこれからも整備を進めて、多くの方に喜んでもらえる山城になるといいですね。
明けましておめでとうございます。
このブログにおいでいただきありがとうございます。
そして、コメントまでいただき
感激しております。
私は、残念ながらまだ、波多野城址には、訪れたことが無く、
登った本人へ なにか コメントをと依頼しましたら、
城歩きマンさんへのコメントは恐れ多くて返せないと
無粋なことを申しておりました。
しかし、T氏は、城歩きマンさんのブログを拝見し勉強中です。
「語り部」の有志を連れて案内してくれるでしょう。
その時は、レポートさせていただきます。
ご返事が遅くなり申し訳ございませんでした。
今後とも よろしく お願いたします。


