歴史の見える風景・・〝続編〟『西九州地方』訪問記

 初秋の美しい西九州訪問記の〝続編〟です・・・d0314924_10383964.jpg 
  
  幾つかの日本式寺院に囲まれた丘の上に白く輝く協会が聳えている。各々の寺院の造りも何となく異国情緒を感じさせています。この地方の民衆に浸透していったキリスト教信教の影響の表れとも言えるのでしょうか?。ここに掲載の寺院(写真)は「光明寺」という浄土真宗の寺である。寺の寺歴案内板には、何と!<1592年・越前北の庄城主 柴田勝家 3男「空性」により創建>とありました。ふるさとゆかりの〝人名〟がこんな所で出会える〝歴史のロマン〟を、うれしく感じさせてくれたひと時でした
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 1550年・F・ザビエルが、3度の平戸来訪を記念して建立されたという『平戸・ザビエル記念聖堂』が、日本へのキリスト教伝道のシンボル的≪教会≫として聳えている。
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  以来、キリスト教は長崎から西海を巡りながら島原・天草諸島へと信者も拡大して行きますd0314924_13485733.jpg しかし、ときの権力者豊臣秀吉は外国(ポルトガルなど)による侵略や信徒らによる一向一揆のような反乱また、日本人を奴隷としての売買などを懸念し1587年「バテレン追放令」を発令し圧力を強めて行きます。

 「関ヶ原の戦い」の後やがて、江戸時代に入ると、徳川家康によるキリスト教「禁教令」(1612年)が発令され、キリスト教徒の受難の時代が始まります。



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『島原・天草諸島』訪問は、美しい西海国定公園の島々を眺望する船の旅となりました。
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 ここ、美しい西海の地で、悲しい戦乱の出来事があったとは思えないほど、そこには穏やかな青い海と、美しい島なみがありました。
 領民(住民・キリストか教信徒)が、支配する「藩」に対して起こした反乱《島原・天草の乱》(1637~1638年)である。 特に島原半島南端にあった「原城」での最終決戦では、凄惨極まる結末となった。年若き「天草四郎時貞」を盟主として籠城戦を挑む37,000人に対し、幕府軍125,000人の兵力で総攻撃を掛けたのである。籠城民(女性・子供・老人含む)は全滅し、落城した。
 島原の乱後、幕府は禁教策を強化、鎖国政策を強化して行くことになる。 ただ、こうした出来事を境に、幕府の政策が、武闘政策から文治政策に大きく変わって行ったと云われている。
 余談ですが、この「原城」は、明治維新までつづいた、ふるさと「丸岡藩主」有馬氏の初代藩主の築城に始まったという。





               BY / 「語り部」 Y ・ YAMASHITA
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by fukuinokataribe | 2015-11-13 16:12 | 歴史あれこれ | Comments(0)