歴史のみえる風景・『丹巖洞』(幕末志士、笏谷石ゆかりの地)見学記

 9月26日(土)・社北公民館企画で「丹巖洞」と周辺探索の〝地域歴史 探索会〟が催された。
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d0314924_1422776.jpg 福井市街地区に江戸時代、160年の〝昔〟から建物(草庵)や庭園が様々な災害(特に近年の戦災・震災)を乗りこえ、今もひっそりと存在していることは正に奇跡的に近いとも云えよう。現在、その「丹巖洞」では美しい〝庭園〟と〝笏谷石と洞窟群〟を配した❛料亭❜が営まれている。 
 
 門は、昭和9年に当主の宮崎氏(石材商)によって築かれ、屋根部の瓦はすべて笏谷石での手造りである。また、洞内の揮毫者は岡田啓介(元総理大臣)である。

d0314924_14595898.jpg  今回は、「丹巖洞」の裏山(明神山)から下りて行くため、開発された〝さくら並木〟の道路を登っていくと、広大な台地になる。そこは、福井国体後(昭和43~55年)から整備開発された3万坪の面積である。足羽山連山の最西端に位置し、海抜100mの所も有ったといい麓を囲むように足羽川が蛇行しながら流れていたと云う。d0314924_15574427.jpg       

今は造成された住宅地と、採石場の跡地が広がっているが、ここ一帯は遠い昔から(古代(継体帝の時代)~中世(朝倉氏、柴田勝家時代)~近・現代(江戸時代から明治、大正、昭和)) あの≪笏谷石≫の発掘・採石の主たる現場となっていた。参加された30名のみなさんは、知らなかった歴史に慕っていました。
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 庭園のほぼ中央、草庵の横側に「松平春嶽公」の立像がある。昭和17年に建立された。
       ・・・この稿で「春嶽」の明君としての功績は述べない・・・
 医師『山本瑞庵』は足羽川のせせらぎに面し赤岩(訓でタンガンと読む)がそそり立ち、遠く白山の嶺岳を望む、ここ幽閉な処女地に草庵と庭園を配した別荘を築き、詩歌や文筆にしたしむ風流を求めていたと云われている。
 当時、入国してまだ年数の浅い若き藩主「松平春嶽」は詩歌(和歌・漢詩など)や文筆に秀でた才能を持っていたため、藩医・瑞庵には日ごろより何かと親しみ深い交流を持った。そのためか、深く信頼され、役宅も舎人門外すぐ近くの光明寺用水に沿って7百坪の邸宅を持ち、晩年は藩・侍医長として重用されていた
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幕末には松平春嶽はじめ橘曙覧・中根雪江・鴻雪爪・小原鉄心・佐佐木弘綱、その他多数の知名人、文人たちが来遊していたが一方で、勤皇討幕の志士たちに密議所として使われた所としても知られていた。

また、横井小楠・橋本左内・村田氏寿・三岡八郎など開国・幕藩改革を謀る人たちも訪れ、残された数多くの文献・筆蹟なども保存されている。font> 
d0314924_1935353.jpg  なお、「春嶽」の遺稿第一巻には〝遊丹巖洞記〟となって収められており、昭和初期においては、尾崎愕堂・松岡洋右など往年の大政治家も宿泊、逗留している。
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 昭和7年に足羽川の河川改修が行われるまで、足羽川は笏谷のすぐそばまで流れており、河戸(間歩河戸)があって、切り出された笏谷石が、川舟に積み込まれ三国湊まで運ばれた。この絵は昭和7年に、昔の様子を再現して、加茂河原の画家、小川春峰が描いたものである。(丹巖洞所蔵)
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「山本瑞庵」亡き後も、庭園は岩山を生かし、紅葉や雪見など四季を楽しめる風情ある造りは維持されてきた。しかし、その後時代の移ろいとともに草庵も庭園も荒廃し、昭和3年になって石材商・宮崎又作氏が山本家から譲りうけ、幾多の支障・困難を乗り越え再興、維持継承に尽力され今日に至っている。
 現当主(写真の人・3代目)の『丹巖洞』を維持・継承することに対する、並々ならぬご苦心に深く敬意を表したいと存じます。
 
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 今回の「地域歴史探索会」終了後、参加の皆さん全員、感動し、満足したコメントを
  アンケ-トしていたそうです。 ごくろうさまでした。

             BY/ 「語り部」 Ⅰ ・ YAMASHITA

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by fukuinokataribe | 2015-10-03 22:47 | 活動の様子 | Comments(0)