『越前和紙』とオランダの天才画家『レンブラント』に関するおはなし
2014年 11月 06日
〝光と影の魔術師〟という異名を持つ画家「レンブラント」の 代表作≪夜警≫の版画作品2点に、「越前和紙」が使われている可能性が非常に高いと言うことで、いま両国(アムステルダム・福井県)の関係専門家の間で歴史的、技術的な調査や検証など、熱い交流が進められている。
中世から近代にかけ、オランダの黄金時代において絵画の世界では、世界を代表する3人の巨匠を生み出していた。
『レンブラント』
(1606~1669年)
代表作 ≪夜警≫ の一部分
その3大巨匠と云えば・・・・
ご存じ
『フェルメ-ル』
『レンブラント』
『ファン・ゴッホ』
日本においては特になじみの深い、多くの人達から愛
されている天才画家たちです。
「オランダ」と云えば、西欧諸国の中でも日本人にとっては、特に親しみ深い国がらと、多くの人が思っているようです。 やはり400年の長い交流からくるのでしょうか。
さて、NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」もいよいよ大詰め。1598年・豊臣秀吉が没する年、オランダ・ロッテルダム港から東インド会社交易船5隻が出航し、マゼラン海峡・太平洋を巡り東洋へと向かいます。日本では、秀吉が豊臣家と「秀頼」の安泰を「徳川家康」(五大老筆頭)等に託して没します。 時代は動き、1600年、ときは<関ヶ原合戦>の年。 先のオランダ交易船団は2年がかりの航海途中で、嵐の遭遇や、スペイン・ポルトガル船との海戦などで、やっと奇跡的に「リ-フデ号」1隻のみが豊後(大分)の臼杵湾に漂着します。 生存者は直ちに当時、大阪城にて取り仕切る徳川家康に謁見すべく送られます。 その中にいた航海士「ウィリアム・アダムス(三浦按針)」・「ヤン・ヨ-スティン(東京・八重洲口の語源)」は家康によって高く取り立てられ、西欧事情に対する外交顧問的な重要な役目を果たすことになります。 このことこそ戦争のない長い江戸時代、オランダ(西欧)交易の〝いしづえ〟となり、日本開国への基盤となった。
そしてもう一つのおはなし・・・・
ふるさとの『越前和紙』が、とおい昔、オランダの天才画家が使っていた!?・・。まさにこれは〝ロマン〟です。
1500年の伝説を持つ「越前和紙」---〝和紙の里〟は越前市今立地区《五箇》にて引継がれてきました。
ここ「越の国」を継体天皇(オオド皇子)が治めていたという時代、岡太川の川上から美しい女神が現れ、貧しい村人たちに〝紙のすき方〟を伝授したという。 その後村人たちは紙祖神『川上御前』という「祭神」として祀ったといわれる。
江戸時代に再建されたという 『本殿・拝殿』(S59年・国の重要文化財指定)
〝歴史やものがたり〟はスバラシイ!! BY/ 「語り部」 I ・ YAMASHITA
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