~歴史ボランティア「語り部」と巡る街歩き~
2014年 04月 23日
ふくい春まつりのまち歩き
昔の城下町コース
城下町の名残と老舗めぐりのガイドを担当しました。

雨が心配されましたが、街歩きの終わりまでは持ちそうです。
初めてのガイドです。
とても緊張しています。
200年前の城下町の地図を用意しました。
この地図をクリアホルダーに入れて頂いて、さあ出発です。

1601年徳川家康の次男結城秀康は62万石をもらって福井の地へやってきました。

まずは築城です。
家康が設計したそうです。
息子思いだったのか、信用していなかったのか、どちらでしょうね。
薄緑色の笏谷石だけで積まれているのが特徴です。
歩いて20分ほどの足羽山から大量に掘り出せたのは幸運ですね。
本丸の東側の堀に沿って歩いていきます。
桜は散りましたが、新芽を出した柳がきれいでした。
お殿様の別邸養浩館の北側に芝原用水が流れています。

この用水は福井の町の人々の飲料水に充てるためのものでした。
当時は「御上水」と呼び上水奉行のもとで厳しく管理されていました。
この水で手足を洗うようなことがあれば、本人はもとより村の庄屋たちも罰を受けたそうです。
「舎人」とは、身分の高い人の護衛官、または、身の回りのお世話をする人たちのことを指すそうです。

この舎人門は福井城の北側にあります。
この門の外は江戸町と呼ばれていました。
2代将軍徳川秀忠の御嬢さん(勝姫)が2代藩主忠直のもとに嫁いできたのです。
江戸町の大きさから推測するとたくさんの舎人たちが江戸からやってきたようですね。
そして、毎日お姫様のお世話をするために舎人たちがこの門をくぐったのではないでしょうか。
橋本左内は藩医の家に生まれましたが、松平春嶽の側近として登用され、幕末に活躍しました。

しかし、残念ながら安政の大獄で斬首の刑に処せられ26歳で亡くなっています。
藩医でしたが、教育家、思想家として福井に住む私たちに大きな影響を与えました。
15歳で書かれた「啓発録」が有名です。
生家の石碑に
「稚心を去る。気を振るう。
志を立てる。学につとむ。交友をえらぶ。」
が刻まれています。生家は約200坪の大きさだったそうです。
片町と呉服町に囲まれたところには老舗がたくさん残っています。

柴田勝家が北ノ庄の城下町を作るときに、朝倉氏の一乗谷から
この地に多くの商人たちを移住させました。
国嶋商店さんは勝家の時代から延々と続いている老舗中の老舗です。
従って、国嶋商店の辺りは一乗町と呼ばれ、城下町の中でも最も古い町でした。
国嶋商店さんでは、麹を使った飲み物を3つも頂きました。甘酒に「生姜入り」、
「ラズベリー入り」、「ミルク入り」です。とてもおいしい飲み物でしたよ。
東京の発酵学者の方がこの飲み物を「飲む点滴」と表現されたそうです。
体に良いですよ。
この古くて新しい飲み物が福井の名物になってほしいと思っています。
その他にも「小大黒屋」さん、「天たつ」さん、「アラヨ」さんに、寄らせていただき
ご主人から興味あるお話を伺いました。
福井に残る老舗のお店が、これからも福井のまちとともに、うんと栄えていかれますように、
感謝を込めてお祈りしております。
最後に、このまち巡りでお世話になりました皆様ありがとうございました。
語り部 井上清一
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