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今 「語り部」は市民の方などに広く福井の歴史を伝えることを念頭に、

メンバー同士の講演会を話す立場聞く立場で研修会を行っています。

その中で、9月8日(日)の研修に参加された方からの投稿です。


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研修会報告書

  と き 平成25年9月8日(日)13:30~16:00
  ところ 福井市茶道会館3F研修室

研修Ⅰ 「足羽山の松玄院と五嶽楼の歴史」

講師 小 坂 武 士 氏

 後 記
柴田勝家公が一乗谷より現足羽山に移された遊楽寺は、福井藩祖結城秀康公をはじめ、歴代福井藩主からも手厚く保護を受け、江戸後期には足羽山の殆どがその敷地であったという。「愛宕の松玄さん」は、その別当院であったが、明治維新の神仏分離令により愛宕神社となる(なんて、どうもこの神仏分離令というのは、よくわかりませんね)。
 その後、別当職坂上家に親しくしていた五嶽楼山田家より、福井女丈夫の一と云われた勢津が養女に入り、愛宕神社を支えていくことになる。
(福井女丈夫の一なんて、一度でいいから言われてみたいものですね)
現存すれば四ッ星、五ッ星間違いなしと思われる料亭「五嶽楼」は、結城秀康公に結城よりお供してきた山田家の先祖が、秀康公の安息所として表坂(現愛宕坂)に「山の茶屋」後の「清和楼」を開業したのが始まりと言う。時は移り明治10年5月、松平春嶽公(16代)が嫡子巽嶽公(17代)と共に宿泊された折り、眼下に見える福井市街や遙かな白山連峰を眺められながら、「清和楼とは56代清和天皇の御名と同じで畏れ多い。」として、目前の白嶽(白山)・芳嶽(吉野岳)・椿嶽(白椿岳)の三嶽と春嶽公・巽嶽公の二嶽を併せて「五嶽楼」と命名されたという。春嶽公は現代に再来されてもダンディで、知的で、教養人で、トップスターになられるだろうな。
 それにしても五嶽楼廃業は残念。金沢に勝るとも劣らない料亭だったのになあ! 各月毎に代わる調度や什器のあしらい、その器に盛られた料理の美しさとおいしさは、筆舌に尽くし難いものでした。前席に頂く薄茶とお菓子も、料理を引き立てる演出の一つでした。残念!!!!!
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研修Ⅱ 「岡倉天心と福井」

講師 吉 田  秊  氏

1 内 容 別紙資料参照

2 後 記
 吉田先生の講義を受講させていただいて、「心情は同じです」と叫びたい思いにかられたのは決して私一人ではなかったと思う。
 「岡倉天心は福井人です。横浜(の福井藩商館)で生まれようと、茨城に活動の本拠を移そうと、新潟で没しようと、そんなことはどうでもいい。彼は福井県人の気質と気概を持ち、福井県人と自称し、福井県人であることに誇りを抱いていたのです。 彼は正しく福井県人であり、福井県人以外の何者でもありません」と。
 その彼の心を受け継いだラングドン・ウォーナーが第二次大戦中、京都や奈良を空襲から救ったと言われていることに大きな喜びを感じます。
9月2日の「天心忌」の法要や4県持ち回りの「天心サミット」がいつまでも受け継がれていきますように祈らずにはおれません。

私の好きな天心の逸話を1つ。
天心が、羽織袴の正装でニューヨークの繁華街を歩いていると一人の若者が天心をからかってきました。

"What sort of nese are you people?
Are you a Chinese, or Japanese, or Javanese?"

"We are Japanese gentlemen. But what kind of key are you?
Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey?"

注1 Javanese 造語 ジャワ人の意か? 注2donkey ロバ 馬鹿・愚か者の意有り

広報 細野




7日も研修会は開催され本日10日も行われます。
7日 10日の研修後記をどなたか 投稿してください。
BY 事務局

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by fukuinokataribe | 2013-09-10 09:21 | 活動の様子 | Comments(0)